時候のあいさつと川柳
時候のあいさつが、自由な表現を旨としていた川柳に規範という重い指針となり、
これを金科玉条とした以後の柳風狂句会の作者により、表面的な言葉遊びに堕落させてしまう原因となった。
これは、五世川柳が悪いというのではなく時代の風波に晒された川柳風を守る行為であり、
いたしかたない選択であったろう。
問題は、文明開化以後も時代の風潮に変わらなかった明治柳風狂句の指導者たちの指導力のなさである。
これは、柳風会内だけの言葉遊び皮相的な作風に陥いった。
時候のあいさつになると、阪井久良伎が現れて子規の短歌俳句改革の影響を受け
川柳改革の意識が高まる。ニンゲンを描く詩である。
であるから、同じ句を鑑賞した場合川柳人と俳人では異なった鑑賞が見られることが多い。
翌年には井上剣花坊が新聞「日本」に欄を与えられこれが大ヒット。
柳風狂句に代わる新川柳の勃興となった。この二人を特に「川柳中興の祖」と呼ぶ。
川柳は、江戸からの客観的な視点の作風から新傾向川柳によって、作家の内面に向かう視点を獲得
さらに新興川柳では、時候のあいさつは「俳句」が口語を取り入れ川柳の詩的表現を求める者が
文語に近づくなど、表現の表面上では俳句と川柳の差がほとんどなくなってきたという部分もある。
プロレタリア思想と結びついたり純詩的作風が生れたりして川柳の表現分野は人事面360度の幅広いものとなった。
時候のあいさつと呼ばれる中興の祖の次の世代が現れ、全国に新川柳の大きな波を起こし多くの
川柳家を生み出すこととなった。
その中核は川上三太郎の「川柳研究」村田周魚の「川柳きやり」前田雀郎の「せんりう」
岸本水府の「番傘」麻生路郎の「川柳雑誌」そしてやや小ぶりだが、椙元紋太の「ふあうすと」の6社である。
これは川柳の多角化におおいに貢献し、女流作家が増大するとともに情念も川柳の表現の一部となった。
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