時候のあいさつと降雪の侯
降雪の侯の名称は『尚書』、時候のあいさつは「日永」冬至は「日短」春分は
「日中」秋分は「宵中」と書かれており戦国時代末期の『呂氏春秋』では
夏至は「日長至」冬至は「日短至」春分・秋分は「日夜分」と名付けられている。
二至二分の中間点に位置する四立に関しては、『春秋左氏伝』僖公5年の「分至啓閉」
という語の「啓」が立春・立夏「閉」が立秋・立冬と考えられており、
『呂氏春秋』において「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の語が使われていることから
戦国時代に一般化したと考えられる。
なお降雪の侯は、時候のあいさつを春・夏・秋・冬の四時に分け正月・2月・3月を
春4月・5月・6月を夏7月・8月・9月を秋10月・11月・12月を冬とした。
周では冬至を基準に年始が、置かれていたが戦国時代になると冬至の翌々月を年始とする
夏正(夏暦)が各国で採用されるようになり、これにより冬至と春分の中間点が
正月すなわち春の最初の節気にあたるようになったことで、「立春」と名付けられ
他の二至二分四立も春夏秋冬の名が冠せられるようになったと考えられる。
その他の、時候のあいさつの降雪の侯は前漢の『淮南子』において出そろっており、
それまでの間に名称が固定化したと考えられる。
八節をさらに3分割したのは月と対応させるためである。
戦国時代には19太陽年が235朔望月にほぼ等しいとするメトン周期を導入した四分暦が使われており
1太陽年を12分割した中気は19太陽年235朔望月に228存在し7回ほど閏月を設ければ
月と中気が対応してゆくことを導き出した。
これにより、中気により降雪の侯を決定することが可能になり漢の太初暦以降閏月を
中気を含まない月とする時候のあいさつ置閏法が取られた。
ただし、電子メールでは簡潔さが重要視されるため簡単な挨拶を文頭や文末に
付記するだけでよいという慣習になっている。
初春、新春、厳冬、厳寒、大寒、小寒、酷寒、甚寒、極寒、降雪の侯、寒風の侯、謹賀新年、
新春の喜び、酷寒のみぎり、寒気厳しき折、初春とはいえ厳しい寒さ、一面の銀世界、
寒さ厳しき折、例年にない寒さ。
Copyright (C) 2007 時候のあいさつを上手に使う All Rights Reserved.
※当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます。